髪の毛と時間

国道に合流する小道でカーブミラーに写った自分の姿を見た。髪が随分と伸び散らかっていた。年の割に艶の残る毛束をいじる。この髪の毛には、おれの二ヶ月が詰まっている。おれが食ったもの、飲んだもの。浴びた光やタバコの煙、寝汗やシャワーも全部、おれが過ごした二ヶ月は髪の毛に凝縮してるのだ!とか言っちゃうと大げさだが、言い過ぎでもない。

髪の毛、失恋した女はショートカットにするという神話、軍人が坊主でなければいけなかった理由、髪を切ると心がスッキリするとは言うが、過去を削ぎ落とすような感覚もあるのだろうか。髪の毛が呪術道具だった理由もなんとなくわかる気がする。髪の毛は持ち主の分身にもなり得た。

坊さんが髪の毛を剃るのは現実との縁を切り離すためなのだろうか。スキンヘッドもそんな感じなのだろうか。昔の学生が頭を丸刈りにさせられたのは、私には私などいませんと宣言させるためなのだろうか。

キューブリックの映画『フルメタルジャケット』は、牧歌的なバックミュージック『ハローベトナム』(歌詞は直接的なイデオロギーに満ちている)とともに、さまざまな人種、さまざまな体型の志願兵たちが丸坊主にされるシーンから始まる。

カールがかった髪の毛、栗色の毛、黒い毛、様々な性質、様々の色の髪が理髪店の白い床に散っている。(印象的なシーンだ。キューブリックの映画は冒頭のフックがいつも強烈で、これからとんでもない映画が始まるような予感に満ちている。)

この映画の冒頭に断髪シーンを持ってくる意図は明白でやっぱり髪の毛は個性だったり過去を象徴するものなのだろう。

おれの髪の毛は黒々としている。剛毛で艶もある。過去を頭に乗せて歩いているのかと思うと心が重くなるが、伸びた髪の毛を見て安堵する節もなくはない。不思議だなあ、女みたいに髪の毛を伸ばすな!とは女みたいに過去を引きずるな!ということになって、女は過去を引きずる=ずっと純潔であれといった処女厨の願いみたいなのがあるような気がする。童貞は恥らしく、早く決別しないといけないような節がある。だから童貞であっても髪の毛を伸ばしてはいけないのだ。